半歩ハミ出して、紺ブレを着たい
ヒップホップ的な色使いを取り入れる
アメリカのスポーツ文化も味方に
日本では通称“紺ブレ”と呼ばれ、世代を超えて親しまれるアイテム、ネイビーブレザー。この不朽の名作ジャケットと、切っても切れない密な関係を築いている紺ブレ愛好家をゲストに迎え、語り尽くす新連載「私と紺ブレのいい関係。」がスタート。第一回は、国内外のブランドのPRやブランディングを手掛ける〈ムロフィス〉主宰の中室太輔さんに、幼少期からの紺ブレ愛を語っていただいた。
NAVY’S CLUB No.001
中室太輔
ムロフィス主宰
なかむろ・たいすけ/1981年東京都生まれ。ベルリン・アントワープで幼少期を過ごし、帰国。大学在学中から〈エディフィス〉でプレスを務めた後、独立。2008年、国内外のブランドのPRやブランディングを行う〈ムロフィス〉設立。
正統派から半歩ハミ出して、自分らしく紺ブレを着たい。
もはや僕の紺ブレ好きは、「生まれながら」と言っても過言ではありません。というのも、父親が大の〈VAN〉好きで、ジャケットといえば紺ブレ、というくらい四六時中着ているタイプで、その影響をモロに受けました。
マイ・ファースト・ブレザーは7歳ごろ。物心ついた頃には「おめかしの日は紺ブレ」というイメージが刷り込まれ、今もワードローブの不動の一軍に君臨しています。
ボタンダウンシャツに、レジメンかペイズリーのネクタイを締めるザッツ・トラッドな組み合わせが、親子揃っての基本スタイル。加えて、他のアイテムも正統派の父親に対して、僕は少し型破りな“半歩ハミ出す”くらいの塩梅がしっくりくる。
そんなスタイルが染み付いたのは、大学在学中に働き始めた〈エディフィス〉のプレス時代から。「ジャケットスタイルを“崩す”なら、セオリーを分かったうえでやりなさい」という教えがあって、先輩方からドレスのいろはを叩き込まれました。そういったファッションの縛りの中でいかにまわりと違う自分らしさを出し、ハズし過ぎず、適度にハミ出すにはどうしたらいいか。そんなことを考える日々が何だか心地よく感じて、その当時の試行錯誤が僕の紺ブレスタイルのベースにあります。
80年代の雑誌『MEN’S CLUB』や、イラストレーター・穂積和夫の著書『絵本アイビーボーイ図鑑』が学生時代からのバイブル。紺ブレと同じく、ボタンダウンシャツはJ.PRESSのもの。レジメンタイ、ドレスウォッチ、ローファーといった正統派のワードローブを軸に、ホワイトデニムはあえてカットオフのものを。そんなちょっとした仕様にも“自分らしさ”を引き立てるこだわりがある。
コーディネートのポイント
ボタンダウンシャツにレジメンタイを締めて、カルティエのタンクを合わせるスタイリングは『絵本アイビーボーイ図鑑』で習ったセオリーです。ただ、それだけでは自分の性に合わず、“お利口すぎる”ので、カットオフのホワイトデニムと合わせる。これは、エディフィスのプレス時代から、自分のファッションアイコンだったフランス人俳優・セルジュ・ゲンズブールの不良っぽいジャケットの着こなし方をオマージュしています。
ドレスのセオリーと、ヒップホップの“3色ルール”を組み合わせる。
言うならば、自分の物語を綴るように紺ブレを着る。柄にもなく、ちょっと格好つけた言い方ですが、まさにそんなイメージで普段のスタイリングを組み立ています。最もしっくりくるのが、中学生から習っていたダンスとその周辺のヒップホップカルチャーをミックスさせること。
あの頃は、渋谷の美竹公園にダンサーたちが集まっていて、その輪の中に遊びの延長で飛び込んだのがきっかけでヒップホップダンスにどっぷりとハマりました。当時は、アメリカの東海岸で流行っていたニュースクールのスタイルをよく真似していましたね。中でも目を奪われたのが、3色で全身をまとめたコーディネート。これは、色数を抑えて装いをキレイめに見せる、洗練された東海岸ならではのムーブメントで、アメリカの西海岸のそれとは違い、圧倒的にクールに見えた。
今でも鮮明に覚えているのが、ドレッドヘアを束ねるゴムとスニーカーの色を合わせる黒人ダンサーの姿。その装いを、当時は丸ごと真似していました。今もキャップとスニーカーの色を揃えるのは、その名残り。紺ブレを着る時でも、この“3色ルール”が十八番のスタイルとして体に染み付いています。
NYヤンキースのキャップとスニーカー《コルテッツ》、さらにレジメンタイもグリーンで統一。バスタ・ライムス、デ・ラ・ソウル、ナズなど、ヒップホップ界を牽引するラッパーたちの名盤、ソニースポーツのカセットウォークマンもいまだ現役。
コーディネートのポイント
ネイビーとサックスブルーは同じ青系と捉え、他はグリーンとベージュの計3色でコーディネートしています。装い自体はアメカジですが、その着こなしの根底には僕なりのヒップホップの哲学が隠れています。だから、着ていてしっくりとくる。〈ナイキ〉のスニーカー、〈ニューエラ〉のキャップ、〈ディッキーズ〉のチノパンツは、すべてJ.PRESSと同じアメリカ創業ブランド。服作りの背景を揃えると、不思議と馴染みがいい。
時代背景の異なる、アメリカのスポーツ文化をミックス。
もう一つは、僕のスポーツ愛とでも言うべきか、NBAはマイケル・ジョーダン、MLBは野茂英雄、ゴルフはタイガー・ウッズと、多くのヒーローがいた1990-2000年代のアメリカンスポーツが、自分のファッション遍歴においても欠かせないカルチャーの一つ。アメリカンスポーツと紺ブレを合わせることは、決して唐突なことではなくて、’60年代のアイビーリーガーがブレザーを愛用していた背景があるように、スポーツウェアとはもともと馴染みが深い。そういった、腑に落ちる“服と服のストーリー”が見つけられると、初めて自分の中で抵抗なくミックスできるんです。
今なら、大谷翔平選手の活躍にあやかり、ドジャースグッズを取り入れるのも“あり”かなと思って、学生時代にお土産でもらった野茂グッズをクローゼットから引っ張り出しました。
そんなふうに、トラッド、ヒップホップ、スポーツが好きな自分の歴史を辿るような、ボーダレスな楽しみ方ができるのも紺ブレならでは。懐が深いというか、受け皿が広いというか、“セオリーどおり”から半歩ハミ出したい僕の性にはぴったり。替えのきかない、唯一無二の相棒です。
野茂英雄が表紙を飾った『週刊ベースボール増刊号』(1997年4月刊)や、イチローが10年連続200安打を達成した号外などのコレクションは、中室さんのスポーツ愛の証。スウォッチは、バルセロナオリンピック記念モデルを筆頭に、スポーツ関連のものを収集。野茂が現役時代のMLBのドジャースグッズや、バスケットボール発祥のスニーカー《ブレザー》も愛用。
コーディネートのポイント
‘60年代のアイビーリーガーさながらに、アメリカの大学の購買部に置いてありそうな、バテンウェアのスウェット上下とベースボールキャップ、スニーカーを合わせたスタイリングは、ある意味で、紺ブレの正しい着方だと思うんです。ただ、レトロなスポーツウェアを合わせたザ・アイビーみたいな装いはコスプレっぽくて気恥ずかしいので、あえて現代のスポーツウェアと組み合わせています。
photo: Takahiro Otsuji
text&edit: Keiichiro Miyata
title : Adrian Hogan
direction: Akiko Jimbo